10/12の名言)我思う、ゆえに我あり。

– ルネ・デカルト、フランス、1596-1650

さあ、今回ご紹介するのは、西洋哲学の父と称されるルネ・デカルトの有名な言葉「我思う、ゆえに我あり」ですなぁ。この言葉、皆さんはどうお考えでしょうかねぇ? 表面的な意味だけでなく、その深~いところに、人間の存在の根源が隠されているんですよぉ。(^_-)-☆

デカルトはですねぇ、若い頃から当時の知識、つまりは教会が説く教えや、アリストテレス以来の学問に、どうも納得できなかったんですって。彼は全てを疑うことから始めたんです。自分の感覚、夢と現実の区別、さらには神の存在さえも! まさに、世界中のあらゆるものを疑いにかかったんですなぁ。この徹底した懐疑主義、普通の人間にはできませんよ、まったく!きびし~い!

そんな彼が、ある寒い冬の日、暖炉のそばでじっと考え込んでいた時のことなんです。あらゆるものを疑っても、一つだけどうしても疑えないものがあることに気づいたんです。それは、「疑っている自分」の存在。疑うという行為自体が、それをしている「私」が存在していることの証拠になる、とね! 思考停止したままの人生なんて、考えられませんからねぇ。この洞察によって、彼は「我思う、ゆえに我あり」という不動の真理にたどり着いたわけです。これは哲学史上、まさにコペルニクス的転回だったと言えるでしょう! 素晴らしい発見だぁ!

彼はこの真理を足がかりに、理性によって世界を構築し直そうとしました。病弱だった幼少期、そして故郷を離れ、各地を転々としながら思索を深めていった彼の人生は、まさにこの一言に集約されているようにも思えます。自分の存在証明を、他者に求めるのではなく、自らの内側に発見した。これこそが、近代哲学の幕開けを告げる、衝撃的な宣言だったんですなぁ!

どうです、皆さん? この言葉が持つ重み、少しは理解していただけましたか? 表面的な言葉の響きだけでなく、その背景にあるデカルトの苦悩と、そこから生まれた確固たる真理を、しっかりと納得してチョウダィ! 我々は日々、様々な情報や価値観に晒されていますが、本当に「自分」とは何か、自らの思考を通じて見つめ直す勇気を持っていますか? この言葉が、皆さんの人生を豊かにする一助となれば、これ幸いです。(^.^)

10/12の名言)愛は与えること。与え続けること。

– マザー・テレサ (インド、1910-1997)

「愛は与えること。与え続けること。」この言葉、実に重みがあるね。わしが「かく」だよ。マザー・テレサさん、インドのカルカッタで、まさに身を粉にして貧しい人々に尽くした偉人だ。彼女はね、アグネスという名前で生まれ、修道女になってから、その生涯を病める者、飢える者、そして誰も見向きもしない最底辺の人々に捧げたんだ。寝食を忘れ、ただひたすらに、見返りを求めず愛を注ぎ続けた。その姿は、まさにこの名言そのものだった。

わしも若い頃は苦労したもんだ。貧乏で学校にも満足に行けず、雪深い故郷から出てきて、がむしゃらに働いた。時には、本当に助けてくれる人がいて、その温かさに心が救われたもんだ。あの頃、わしは何も持っちゃいなかったが、与えられた恩を忘れることはなかった。だからこそ、わしもまた、人に何かを与えたいと強く思った。金だけじゃない、知恵を出すこと、汗を流すこと、そして真剣に相手のことを考えること。それが「与える」ということなんだ。

マザー・テレサさんが言った「与え続けること」。これは本当に難しい。一度や二度じゃない、生涯にわたってだ。普通なら途中で投げ出したくなることもあるだろう。だが、彼女は決して諦めなかった。その真摯な姿勢こそ、われわれが見習うべき点なんだ。「真剣にやれば、知恵が出る。中途半端だと愚痴が出る。」彼女の人生は、まさにその言葉を体現していた。

政治の世界も同じだよ。国民のために何ができるか、常に考え、行動し続けること。それがわしの信念だった。そして、この「与え続ける愛」こそが、どんな困難にも打ち勝つ力になるんだ。さあ、みんなも一緒に、それぞれの場所で、できることから始めてみないか? よし、やろうじゃないか! 与える愛は、必ずや自分自身をも豊かにする。今日から君の「与える」行動を、始めてみないか? よし、やろうじゃないか!