11/21の名言)努力だ。勉強だ。それが天才だ。

meigen_kaisetsu

– 野口英世、日本、1876年 – 1928年

ホーッホッホッホッ。努力、努力、と。世間は気軽に口にしますがね、努力ほど脆いものはありませんよ。まるで「いつか報われる」という甘い幻想を餌に、我々を走り続けさせる、巧妙なのようなものですね (^^♪。努力の結果が出るのは、大抵、努力をやめた後の、全く関係のない場所だったりしますから。

さて、今回の発言者、野口英世博士。彼の人生こそ、努力の極致とされています。幼少期に負った大きな火傷、そのハンデを乗り越え、猛勉強の末に医学の道へ。しかし、この名言が生まれた背景は、単なる美談では済まされません。彼がアメリカに渡り、研究に没頭できたのは、彼の異常なまでの集中力と、常に後ろ盾として存在した「借金」という二つの大きな原動力があったからです。彼は、研究資金だけでなく、私生活でも常に借金に追われていました。追い詰められた状況こそ、最高の「努力の燃料」になる。彼は、自らを崖っぷちに追い込むことでしか、その才能を開花させられなかった、哀れな放浪者だったのかもしれません。

世間は彼を「天才細菌学者」と持ち上げましたが、彼のキャリアには、実は多くの「過ち」が含まれています。黄熱病や梅毒の研究において、彼は先走って「発見」を発表し、後に訂正を余儀なくされることも少なくありませんでした。つまり、彼の「天才」は、緻密な検証の上に成り立つのではなく、圧倒的な努力量と、それに伴う「フライング発表」によって、作られた幻想だったとも言えるのです。努力すればするほど、周囲からの期待も膨らみ、後戻りできなくなる。努力とは、自身の存在価値を証明するための、決して止めることのできない「呪縛」だったのではないでしょうか。

彼はその呪縛から逃れられず、アフリカの地で黄熱病に倒れてしまいました。どれほど努力しても、自然の摂理や運命からは逃れられない。努力が報われるかどうかは、と、そして発表の「タイミング」にかかっているのです。

さあ、あなたも、報われるかどうかわからない努力を、今日も続けていらっしゃるのでしょう? その心のスキマ、ご愁傷様です。

さて、あなたのその「努力」は、誰かの期待に応えるための見せかけでしょうか、それとも、本当にあなたの望む「天才」への道でしょうか?(^_-)☆